2015.2

 

 

今回は普段から私が書き記しているメモの中から、最近のものを選んで、こっそりと、ここに声として記録しようと思います。

私にとって「アート」「ゲイジュツ」とは、真理を追究する行為そのものです。

真理とは本質です。好き嫌い、正や不正、そういった自分の感情を抜きに、それらを超えて価値観や固定観念を失くし本当の意味で物事をフラット(=同じ)にみることであると思います。

またそれらは日常的になればなる程、訓練が必要になってくるものであるし、或いは非常に危険な行為であることに違いありません。

凡てのものがフラット(=同じ)にみえるとは一体どういうことか。

それは空や、風や、花や、空きカンと、いま目の前にいる人間が、全く同じ価値を持って語りかけてくる、ということです。

それは無垢と通じ、時に残酷であり命の価値さえも失くしてしまう危うさをも孕んでいます。

このように言うと何を言っているのか理解できないという人もいるかも知れません。

しかし今あなたにそれがないと言うならば、それは眠っているだけなのです。

私たちは、はじめみな幼子でした。すべてのひとに経験がありながらも

大抵は思い出せないだけで、もはや全く無関係とは言えないでしょう。

それらは世間的に、或いは日本社会において、異質と捉えがちです。

しかし「アート」は常に開かれたドアなのです。

真理を追究し超えてゆくことさえすれば、誰もが「アーティスト」になる。

或いは、誰も「アーティスト」ではない。

人々が生みだした「幻想」に過ぎず、そんなものは初めから存在しないのかもしれません。

私は「アート」は「表現」なのか、と考えます。

「アート」「ゲイジュツ」とは、真理を追究する行為そのものであると言いました。

それならば、それは表現ではないのか。

幼子は空腹になれば泣き叫びます。これも一種の表現です。

表現は、生まれた瞬間からはじまります。

それは生理からくるものであり、表現をしようと意識したものでは決してない。

私のやっていることは「表現しない表現」なのです。

 

(12の窓 / KOBE STUDIO Y3に寄せて)